はじめに

昭和58年4月、守口市橋波小学校において、故小野道雄先生(同志社大学日本拳法部OB)
が数名の小学生を集め、日本拳法を通して青少年の健全育成に少しでも
貢献できればと始められました。
翌、昭和59年に現在の稽古場でもある、守口市民体育館に稽古場を確保されました。
以来、時は過ぎ前会長の故城利隆先生、そして現会長は、三澤登先生です。

平成20年3月20日には、25周年記念大会を開催いたしました。
皆様のご協力の下盛大に開催することができました。

近年では、少年部で中学1年の前田稔輝君が、昨年の総合選手権大会で4連覇を成し遂げ
青年男子の部では、平成19年社会人選手権大会団体2部で念願の初優勝を
果たしました。他の選手につきましても、優秀な成績を修めています。

守口市日本拳法連盟では現在、三澤登会長の元で、
指導者10名
青年部男子21名
青年部女子6名
少年(年長~中学生)30名
の計67名が乱稽古、型稽古、護身術の稽古にはげんでおります。

「心の武道」を標榜する日本拳法は鍛錬、修行をする事により、
身体(体力・強さ)だけでなく心(礼儀・正義・優しさ)を磨く事になります。
継続する事により本当の意味での一本を勝ち取る事が出来ます
我々は、強さと優しさを兼ね備えた人間の育成を願い活動を続けております。

           

  • 会長:三澤 登  六段
  •          
  • 副会長:榎本 進 五段
  •         
  • 副会長:城 洸造 五段
  •         
  • 練習生
  • 指導者(男女)10名
  • 男子青年部 21名
  • 女子青年部 6名
  • 少年(年長~中学生)30名


守口市日本拳法連盟

日本拳法の概要

拳法は人間の天性のなかに眠っている。
それをよみがえらせ、成長さすのが、これ「道」である。

日本拳法は素手の格技である。
その技術構成は、拳の突打、足の蹴りなどの搏技(うちわざ)と、
組みついた場合の突打、関節の逆技などの諸技と総合したものである。
その特微は、突打蹴の搏技に対して、創案の防具を着装して、
安全に、かつ自由に撃ち合って稽古をすることである。
この稽古法を乱(らん)稽古といって練技の主流とし、また、
この様式によって、いままでできなかった試合を可能にしたことである。
乱の激しい撃ち合いは、見た目には荒っぽいが、実際にはいたって安全である。
強い蹴技を使っても、相手を組み敷いて加撃いても、けがの心配のないところは、
たしかにその特微であろう。
拳足の技に対する防具の創案は、まさに有史以来初めてのことである。

日本拳法の創始

日本拳法の創始は、当時、わが国において衰微いていた拳の格技の深究に始まり、
つづいて従来の形(型)稽古から脱し、拳足の自由な撃ち合い稽古に新しい天地
を求めて開拓し、そこで防具を考案し、防具を着装する今の乱稽古を創案する
ことによって成しとげられたのであった。
つまり、最も実際的な拳の格技、いいかえれると、技法の真実を修練しょうとする
ところに、その創始の趣旨があるのである。

拳の格技の探求

----略---- 拳の格技は古くから人類のあいだに起こり、洋の東西にまたがり
各民族の間に伝承されてきたものである。
ところが、わが国は昔から尚武の国だといいながら、拳の格技はどういうものか、
その当時(大正の末期ー1925年ごろ)は、武道界にも、スポーツ界にも、
まったくといってよいくらい、その姿を見なかったのである。
なるほど、今日でこそ、ボクシング、空手道といえば、3歳の児童でする
拳の格技であることを知っている。
だが、その当時は、ボクシングがようやく日本に移入されかけた
初めのころであり、また空手道も沖縄の秘技唐手としてのみ存在
していたころであり、一般はほとんど知られていなかった。
拳の格技といえば、わずかに古流柔術のごく一部の人が当身拳法として
わきまえているにすぎなかったのである。
これは、わが国が戦国以後、武士階級の練武が剣に集中していたことのも、
一つの原因があろうが、なんといっても、明治廃刀令以後の国内の治安がよく、
国民としては実用的な武技を身につける必要がなかったことによるものであろう。
しかしながら、武道の神髄をきわめようとする者にとっては、どうしても拳足の技術
を度外視することはできない。
徒手の格技から拳足の技術をはずすということは、あたかも獅子から爪牙を
とりさるも等しいのである。
そこで、拳足突打蹴に関する技を尋ね求めることになった。そして拳足の技と
組打ち技との完備した徒手武道を創ろうとしたことが、日本拳法創始の始まりを
つくることになったのである。

従来の形(型)稽古から自由は打ち合い稽古

拳の格技は、組打ちの格技とちがって、修技者の両名が、相対して互いに自由に
技を戦わして稽古するということは、きわめて危険である。
血を流さずしてするということは、絶対不可能である。
これがため、拳の格技の稽古法は、古くから補助的な独り稽古をしたり、
また修技者同士が形(型)の形式で稽古をしてきたものであった。
もちろん独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修業には必要、かつ大事な
ことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥
弊害を生じてくるものである。
----中略----ややもすると、技法が実際から離れてしまい、見た目だけに
豪壮華麗ないわゆる華法に流れやすいのである。

防具の創案と乱稽古の誕生

自由組手の出現は,今までの拳の技法を一変させた。
これに対して,形(型)稽古一辺倒者たちは,技形を崩すものであると批判した。
しかし,それは当たっていなかった。
というのは,彼らが『崩』と見たのは『変』であったからである。
しかし,それでも互いに空撃の撃ち合いでは不十分なところがあり,
それなりの欠陥もできてくる。本当に充実した修練成果を収めるには,
さらに一歩進んで,防具着装による撃ち合い稽古をせねばならない。

太い針金を曲げ,面金や股金を作り,帆布を縫い合わせ綿クズを詰め,
面の頭当と頬当,胴下当,股当などが試作された。
それから,防具を着装して思う存分,力一杯の突打蹴をもって撃ち合い,
組ついては投技,寝技にも転じ,徒手格技の総合的な稽古をすることに
なったのである。

拳の格技の防具着装稽古は,いままで世界の何人も成し得なかったことである。
これこそ,格技の史上に特筆すべき偉業といっても過言ではなかろう。

そこで,この稽古法を乱稽古という名称とした。
その由来は,遵守の兵勢編にある『紛紛紜紜,闘い乱れて乱るべからず。
渾渾純純,形に圓にして敗るべからざるなり』の意によるものである。
一見乱れているようであるが,乱れではない,相手への変化であり,
戦況への適応である。
ここにこの稽古法の意義があるのである,また同時に,
空撃をもってする自由組手を空乱稽古と改称した。

日本拳法の創始は,拳の格技を探し求めることに端を発し,
次に自由に撃ち合いをする新しい世界の門戸を開き,防具を考案し,
乱稽古を樹立することによって,一応成し遂げられたのであった。

(故澤山宗海著「日本拳法」毎日新聞社刊より)

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